<Myテニス歴をこちらのテニスブログに移行、書き込み直しました。よかったら、お読み下さい。>
自分のテニス遍歴について、語ろうと思います。
岩○中学の部活を選ぶ時、同じクラスの友人がテニス部に入るということで・・・誘われてのテニス部入部でした。もし、その友人にその時誘われてなければ・・・テニスと出会うこともなく、こうしてテニス関連のブログなど書いていないと思うと・・・不思議なものです。
もちろん軟式(ソフトテニス)、こうみえても中1の時はまだ背の高い部類だったので、当時の顧問の権限で意見も何も言えずに”前衛”に勝手に決められてしまいました。今のソフトテニスのルールとは違って、まだ前衛と後衛の完全分業だった時代なので・・・結局、中学3年間でサーブを打った経験と言ったら、練習の合間の遊びで何回か打ったりしただけで・・・それこそ、ボレーの練習ばかりでした。
4番手のペアだったのでいわゆる公式戦は補欠でしたが、運よく公式戦出場機会ありましてまったく出番無しではなかった・・・でも、確か負けた記憶です。当時の自分のテニス、バックハンドがひどく苦手で(硬式と違ってフォアと同じ面で打つ・・・硬式の逆面打ち)弱点でしたね。
その時のグリップですが、軟式は当然厚いフルウェスタングリップなのですが・・・自分は、セミウェスタンで握っていました・・・今思うと、これが”バックが苦手”だった理由かも?ですが、このセミウェスタンは今の硬式でもそのままの形です・・・硬式を始めた時には、プロでも厚い握りはもう主流になり出してました。
中学の部活で、ボレーで恐怖を覚えた練習方法があります(汗)・・・前衛がネットの目の前に中腰に立つ、そして顔だけネットの上に出してラケットの面で自分の顔を覆い隠すようにカバー・・・そこに向かって、後衛がネット反対側のサービスエリア内から、思いっきり!ラケットフェースに向かって打ち込む!!
目を閉じないで”恐怖心”を克服するという練習でしたが(冷笑)・・・ラケットがあるから大丈夫、と分かっていても恐怖心には勝てないというやつ、です。これ、今思うと・・・ホント、意味のある練習だったのやら??
軟式のボレーが上手かったのかどうか?というと、自分では分からないですが・・・現在の硬式のボレーにはまったく生かされてないのは事実・・・とっさになると、”軟式ボレー”になってしまうのは昔取った杵柄??どうも硬式の柔らかいタッチのボレーがダメです・・・軟式の厚いグリップでの”叩くボレー!”の逆の弊害という感じなのでしょうか。
高校は一宮○高校で軟式テニス部に入りましたが、1年の途中で早々にリタイヤ。この頃、バリバリに洋楽を聴いていて、お遊び程度だったギターにも本格的に目覚め、部活よりそちら方面に・・・
この時、簡単にテニスを止められたのは・・・結局、中学の惰性でテニスを続けようと一旦は思ったものの・・・あまり、正直”面白み”が無かった。面白いものは、他にもいっぱいあった、という青春時代でした(もう、遠い昔・・・)
テニスはこの時から、もうパッタリと止めて・・・大学時代も体育の授業で硬式テニスはあったものの、心動かされず、でした。
テニスを再び再開して本気でラケットを握るようになったのは、自分が社会人になり、なんかの拍子で硬式ラケットを手に入れて、気晴らしに小牧市にあったオートテニス場でポンポン打ってるうちに、”やはりテニスは面白い”と思い出した?のか(そのあたりの記憶は正直定かではないですが・・・)
ただ、このオートテニス通いは暇があると行って、結構頻繁にしていました。今のバックハンドストロークなんかはその時に、テニス雑誌の連続写真などを見ながら、マシン相手に玉数打って固めたフォーム、なのですネ(懐かしい・・・)。
20代の最後に転職する機会があり、今勤めている会社に移ったのですが・・・今思うと、仕事も、テニスも・・・これが大きな転機となりました。
会社にはテニスサークルが存在して、その部長を務めていた方が偶然にも同じ設計部署にいたのです。もう~すぐに”入らないか”と誘われて・・・オートテニス以外での、丘サーファーならぬ丘テニスプレーヤーから、晴れて~”硬式テニス実践デビュー!”と、やっとあいなりました。
この続きは次回に・・・
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